2019.02.11 Monday

 

 

空の中に自分の横顔をみつけた。

 

雲っておもしろい。

 

 

 


長野重一 さん  2019.02.09 Saturday

長野重一さん

 

 

長野重一 さんの訃報、ショックです。
本当に尊敬できる素晴らしい写真家として、その業をまっとうされた方です。
長野さんは、構図がすごい。
どの作品を見ても長野重一さんって解るのです。この方は、ムービーも回され、ムービーをみても「長野重一構図」が有り有りと解る、そんな写真家は長野重一さんと広川泰士さんだけ。

私の手元に残った長野さんから頂いた2通のメッセージカード。
裏には、びっしりと写真に対する思いが書かれています。
これからも大切にします。

 

 

 


写真と表現  2019.02.05 Tuesday

松本コウシ

松本コウシ

松本コウシ

松本コウシ

 

 

昨年の秋頃、ロケハンを兼ね、とある田舎へ”散歩”に行った時の話。

ちょうど稲刈りの季節を迎え、あたりは田んぼの香ばしい匂いが漂っており、散歩を満喫するには絶好の秋日和でした。近くにはコスモスも咲いており、そこにはいつものように大勢の写真愛好家、カメラ愛好家がわんさかと群がっておられます。

そんな中、群れを離れ、ポツンとお一人で田んぼを撮る方がおられたので何気なく見てますと、このあたりによくある特徴的な形をした積みわらを撮られているようでした。目の前には、雪ん子のように見える積みわらが3体、大きさが大中小あって、ちょうど親子(家族)のように見えなくもないのですが、私的には、並び方等ちょっと無理やり感があるなと感じていました。撮影者の方は、三脚を立てて何度も構図を変え、かなり粘っておられました。私なら諦めるかな、狙いすぎ・・・っと思った瞬間、その心の声が聞こえたのか、撮影者は、むっくと立ち上がり、足早に田んぼの中へ踏み込んでいかれ、背丈ほどある雪ん子積みわらを両手でがっつりと抱きかかえて、ひょいっと横へと移動させたのでした。そして2〜3歩さがり、さらに微調整。

狙い通りうまく撮れたのか、そのあとそそくさと路駐した車に機材を積み込んで去って行かれました。

 

 

松本コウシ

松本コウシ

松本コウシ

松本コウシ

 

 

撮影者が被写体に干渉した瞬間から写真は”描写”から”表現”へと変わる。

 

写真を撮ることを生業にしているからでしょうか、「写真へのスタンス」を曖昧にしてしまうと自分の作品がわからなくなり、どこかに飛んで行って消えてしまいそうになり怖いですね。

狭義として実相を写すことが”写真の本質”ならば、”表現”という言葉は、撮影者の方ではなく、被写体の方へ重なっていくのが妥当なのでしょう。いろいろ語りかけてくる写真とは、概ね撮影者の気配など微塵も感じさせない、ただただ被写体の有様だけが意思を持っているように思います。

広義の創作写真は別次元で、言うまでもなく絵画や彫刻と同じ考えかたでいいのですが、厄介なのは実相をいじっているのに現実として見せること。程度問題かもしれませんが、ひとめも気にせず、雪ん子積みわらを堂々と動かした撮影者も、私から見れば厄介な存在ではあります。

私にとって写真とは、出会い、発見、存在、感慨、受動。

そして自分の思う通りにならないのが写真。意図を押し付けるより、私は見る人が自分の撮った風景写真の中で旅をしてほしい、そう思ってます。

 

写真:「午前零時のスケッチ」より

フィルムカメラ作品。写真の外枠はキャリアブラックと言います。

ネガキャリアを削った痕跡でノートリミングである証。

本作品は、アプリ等で加工したものではありません。

 

 


年の瀬  2018.12.21 Friday







 

 

年末を迎え、今年を振り返ってみましょう。

新シリーズ、「新・眠らない風景  幽玄の夜に」では、今までと違い、都市を離れ、野や畑で草木花を撮っています。前作までは、都市と、人の生活圏内におけるあらゆる造形美を求めていました。「モノの存在感」を徹底的に追及した「午前零時のスケッチ」は、そういう意味で、夜の都市写真、街写真の集大成であったと思います。

今回、都市、そして街を離れたことで、新たに学んだことが随分と沢山ありました。

まず、第一に、「人の居ないところには、明かりがない」という現実。これは、夜の写真に着手した1989年(平成元年)には、すでに気がついていた事なのですが、ここの境界線を本気で超えていくのに、30年も掛かってしまいました。逆にいえば、明かりがあったが故に「眠らない風景」と化すのですから、真の暗闇で撮る事は、作品のテーマからずれているのです。

「新・眠らない風景  幽玄の夜に」では、今までに私が踏み入れなかった本当の漆黒の闇に入り、カメラを向けました。人が感じるギリギリの環境下で、五感を刺激してくる”何かしらの存在感”たちに、今までに体感した事のない、得も言えぬエクスタシーを覚えます。

 

 







 

 

私にとって写真とは感受と観察。そこには表現などという要素はひとつもない。夜の写真は露光時間が長い為、被写体と対話する密度も濃くなる。明るいうちにその存在を察知し、夜にマジマジと穴が開くほど見つめている。最近は植物を撮ることが多い。前作「午前零時のスケッチ」では、撮影した日時場所が大切な要素であった。それは、人が感じる「観念≒時間」で変化する光景を撮っていたからに他ならない。年月を超えて再び、同じ地を訪れたなら、きっとそれなりに文明社会の法則にしたがって姿を変えているはずである。

 

 

 








 

 

草むらに入る。針金のような根や茎は、私の足に絡みつき、青白い樹液を撒きちらしながらちぎれ、私を地面に引き倒し、そして自らの種子を押し付けてくる。何千という、彼らの子孫たちをカラダ中に纏い、私は喘ぎながら再び文明社会に戻り、それらを解放してやるのだ。

植物木々、森を撮った写真に日時場所の概念は意味がない。それらは、人が干渉しない限り、ほぼ永遠に同じことが繰り返されるのだろう。きっと過去も未来も同じ次元にあるのかもしれない。

 

写真; 今年の夏以降に出会った印象的な景色

 

 

 


ヴィム・ベンダース BBCインタビュー  2018.09.06 Thursday

 

 

写真とは何でしょう ?  そして撮影者とはどうあるべきか ?

写真とどのように出逢い、その関わりを作って来たかは、ひとそれぞれ千差万別だと思います。しかし、今多くのヒトが想像イメージする写真と、「写真の本質」には、相当の乖離がある_、つまり写真には、生まれながらに持つ使命というのがあり、それは概ねヒトのコントロールの外にあるのだと私は考えます。

 

数日前、私が好きな映画監督 Wim Wenders が、自身の写真展会場でBBCのインタビューに、こう応えました。

 

So many people are taking so many pictures thanks to the iPhone. And yet, renowned filmmaker and photographer Wim Wenders says photography is “more dead than ever.”

“The trouble with iPhone pictures is nobody sees them,” Wenders said in a recent BBC video interview during an exhibit of his Polaroid photos. “Even the people who take them don't look at them anymore, and they certainly don't make prints.”

Wenders, whose impressive film credits include Paris, Texas and Wings of Desire, may sound like a grouchy old analog type. But given his celebrated creativity, his points about photography in the smartphone era are worth considering.

On Instagram alone, users upload 60 million photos a day. Photography historians have sounded the alarm on how few of these images ever see the surface of digital photo paper.

Camera apps and filters hinder smartphone photography

Apps and filters are also nails in the art form's coffin, according to Wenders. He sees software and algorithms as hindering creativity.

“I know from experience that the less you have, the more creative you have to become,” said Wenders. He earned an Academy Award nomination for his documentary The Salt of the Earth about documentary photographer Sebastião Salgado.

There is nothing wrong with pictures from a smartphone camera. And Wenders admits he takes selfies. But creating images with a phone camera should not be called photography, he said.

“I'm in search of a new word for this new activity that looks so much like photography but isn't photography anymore,” he said.

 

Sources: PetaPixel and BBC

 

 

 

 

 

ざっくり簡単に訳せば、

「iPhoneのおかげで多くの写真が生まれているけど、Photographyは、以前より死んでしまった。多機能電話カメラによるアプリやフィルターを駆使した写真撮影は、見るヒトの創造性を欠き、Photographyの分野を逸脱している。私は、この多機能電話カメラによる新しい活動のための新語を捜している。」 ということでしょうか。

 

最近私は、外にいくと「作家さんの方」という公称で紹介されます。私は「写真家」を目指していたはずなのに、すでに「写真家」ではない扱いになっている様です。この方式でゆくと Wim Wenders が求める「多機能電話カメラによる新しい活動のための新語」は、新しく言葉が生まれることなく、それらが「Photography」と認識され、かつての「Photography」が、何か他の言葉にスライドされてしまうのかもしれません。

 

Wim Wendersが撮った映画、「ベルリン天使の詩」や「都会のアリス」、そして「パリ、テキサス」などは途方もなく美しく、非常に高い完成度をもっていて、彼が生きることのほぼ全てを映画制作に注いでいることが分かります。それほどの英才が発した言葉だけに、真摯に耳を傾ける必要があるでしょう。

 

今や、Photography・Movieの殆どが娯楽やホビーとして捉えられ、従来の「写真家」「映画制作者」の製作物を浸蝕・破壊しているようにも感じます。時代が変わることは有害なことで無いはずですが、ここ数年は、投機的で乱暴な仕掛けが優先され、本質を失ったであろうシロモノがポジションを占拠しています。Wim Wendersが、加工され過ぎたiPhoneの"絵"を見て「なんじゃそれっ」と感じたことはもっともだと思うし、私は安堵すらおぼえました。

この先、娯楽・報道・芸術を問わず、写真の現実性を大事にしないと、やがて大切な何かが消えてしまうかもしれません。20年後、30年後にアプリで過剰な加工を施した自分の顔写真、家族写真を見たとき、きっと少なからずの後悔を感じるんじゃないかと。

 

カメラ業界は、新製品ラッシュです。日々新しいカメラが出現し、世はカメラの性能の善し悪しを論ずる事ばかりですが、カメラの前に「写真」が在ることは忘れないで欲しいですね。カメラではなく「写真」を主人公とした発想になることで、冒頭に述べた「写真の本質」に近づき、そして、写真とは何か ?  撮影者とはどうあるべきか ? という難題を自身に問い始める_、写真家とはそういった存在だと思っています。

 

写真:Until the End of the World / Bis ans Ende der Welt 日本公開来日時のヴィム・ベンダース

 

 

 

 

 

 


八戸ノ里公園 台風21号  2018.09.04 Tuesday

 

八戸ノ里公園 台風21号

八戸ノ里公園 台風21号

 

 

台風21号、強烈でした。

自宅駐車場の屋根が吹っ飛んだので、マンションの管理人さんと雨の中濡れ鼠になりながら二人で修理。業者さんは、この台風の中、来られないですからやむを得ませんね。

 

 

八戸ノ里公園 台風21号

八戸ノ里公園 台風21号

 

 

お向かいの八戸ノ里公園の被害も酷い状態です。再起には暫く掛かるでしょう。これらの木々の破片や千切れた枝が、自宅マンションの駐車場やベランダにわんさか飛んで参りました。

 

 

 

八戸ノ里公園 台風21号

八戸ノ里公園 台風21号

 

 

街中の公園の木々は、根が浅いですね。今回は大きな木がいっぱい倒れておりました。これだけ巨木が倒れて、電線を巻き込まなかったのは不幸中の幸い。民家近くの木が密集した公園は、こういった台風時に大火事になる危険性を少なからず孕んでいることが分かりました。

 

 

八戸ノ里公園 台風21号

八戸ノ里公園 台風21号

 

 

 


夏ももう少し。  2018.08.29 Wednesday

松本コウシ  午前零時のスケッチ 夜の写真

 

このところは、夜の公園がお気に入りです。

足の調子も少し良くなったので、リハビリを兼ねて郊外の公園に足繁く通っています。都会の公園は夜でもヒトが多く、どこか落ち着きがありませんが、山の近くや街外れに在る大きな公園は、ひと気もなく独特の静寂が漂っていて、とても気持ちがいいですね。しばらく歩くと、夜の公園が放つ、他に影響を及ぼさない隔絶された空気感にタップリと充たされ、私の写真欲は、ゆっくりとマキシマムへ向かってゆくのです。

22時を過ぎる頃、公園内の明かりは全て消え、辺りはひぐらしの鳴く声だけがミステリアスに浮かび上って、ぬえ的な雰囲気の一層濃くなる時が私の撮影タイミング。それまでそよそよと吹いていた風もピタリと止み、まるで時間がとまったかのように、草木の囁きは静かになるのです。

停止した時間のなか、それらにカメラを向けシャッターを切る_。そんなしじまの中でも、空だけは微かに動き、まわりとは異なった存在感をあらわにしている。南西に見えていた月が低く傾き、近くにいる雲を背後から照らし始めた。天空に支配された地上_、ふと気が付けばひぐらしの鳴く声も聞こえなくなっていて、夜はさらに深い処へと降りてゆくのです。

 

 

松本コウシ  午前零時のスケッチ 夜の写真

 

至福の夜を感じる_。

ほんとうは、無風の夏だから大量の汗を額にかき、手の甲や首はヤブ蚊に一杯咬まれてとても痒いけど、なぜか心地よいのです。長年夜と関わってこれたのも、こういった夜のクライマックスを脳で感じ取っていたからだと思います。「自分の世界観は夜にある」ここはまだ暫く変わりそうにないですね。

 

撮影が終わり、手を洗いにトイレに行くと、そこは巨大な誘蛾灯と化していました。

暗闇に明々と浮かぶ箱に昆虫たちが次々と飛び込んできます。天上ではセミが乱舞し、床にはカナブンやカブトムシが這い回る真夜中の公園トイレ......、それはそれは壮絶な昆虫天国でありました。

 

私は用を足すため小のToToへ向かいましたが、その中には瑠璃色に輝くコガネムシが何匹もちゅうちゅうと......。さすがに私はためらい個室の方で用を足しておりますと、天上で乱舞するクマゼミが飛び込んできて、私の顔や腕にあたりながら大きなToToの水の中に墜落して参りました。

「あー、あーぁー」とは思いましたが、私も用を途中で止めることができず、ただ成り行くまま、事の次第を見送ることが精一杯で、呆然と立ちつくしておりました。

一息つき、水の中で羽を半分拡げてゆっくり廻るセミをまじまじと眺めますが、やはりどうしてやることもできず、かといってこのまま放置して立ち去るわけにもゆきません。しかし、そんな思いもセンサー仕掛けのToToは知ったことではないようです。私の意志とは関係なく、水は感情を伴わず流れて参ります。

ゴゴゴーっと音をたてる水...、そして吸い込まれるセミ....。

「嗚呼、セミさん流れてゆくのね、私の夏の思いでとともに......。」

なんてことを私は心の中でつぶやき、小学校の時に習った「セミの一生」の話しを走馬燈のように思い出しておりました。

 

写真:「午前零時のスケッチより」

 

 


大阪地震  2018.06.21 Thursday

 松本コウシ 夜の写真

 

 

この度の大阪北部地震で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。

当方宛に電話やメールでご心配いただきありがとうございました。幸い当家は何の被害もなく、今日になって気が付けば、積み上げている本が崩れていた程度です。同じ大阪府下でも、わずか10キロメートルくらいの距離で明暗が別れたようですね。

 

 

 松本コウシ 夜の写真

 

 

高槻市内では、ブロック塀が倒壊し、小学生女児が亡くなってしまうという非常に痛ましい事件も起きてしまい、ほんと世の不条理に唖然としました。今思えば誰が見ても危ないことが分かるあのブロック塀、おとなはもっと注意深く神経を尖らせてモノつくりをやらんといかんということです。死の壁に絵を描いたのも子供達かもしれません。そう思うと、今回おとなの責任は多大です、無念やるかたない。自戒の念を込めつつ、女児のご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

 

近況

歩くのに苦労しております。

ゴールデンウィーク最終日、山間を撮影中に転倒し、左足首の靱帯を損傷してしまいました。

一ヶ月半を過ぎた今もそうですが、まだ当分杖生活を強いられそうです。

手が悪く、松葉杖が無理なのでクラッチを使っていますが、それでも手の負担は大きく、

神頼みで川村義肢(株)さんに持って行ったら、うまく改造していただきました。

優しさに救われましたよ、感謝!

 

 

 

 


山で  2018.03.13 Tuesday

 松本コウシ 夜の写真

 

 

 国道25号線に前から気になっていた脇道がある。滅多に曲がるような道ではないが、時間に余裕があったので思い切って入ってみた。

 脇道を暫く行くと、自動車専用道(高速)の下をくぐるトンネルがあるのだが、その手前に、自動車は入れないけど、ちょっと探検したくなるような山道があったので、近くに車を止め、そこを上ることにした。

 入り口付近にはゴミの不法投棄禁止の看板がいくつか立っていて、監視カメラも付いている。まぁ、見るからに不法投棄されやすい場所だ。道沿いには谷間のように川が流れており、覗くとやはり家電などのゴミが沢山捨てられている。ただ、川の水は湧き水らしく、とてもいい匂いを放っていて、少々ゴミっぽいけど、実に良い気持ちにさせてくれた。

 

 舗装された川沿いを1〜2分上ったところで人の声がかすかに聞こえた。声の方に目をやると、川幅2〜3メートルほどを隔てた対岸で崖になっている林の中に人が数名いるのがぼんやりと見えた。前を通り過ぎる頃には、向こうもこっちの存在を見つけ、こそこそと皆が隠れだす。

 

 子供だった。揃いの野球用アンダーシャツとズボンという出で立ちで、中にはバットを持った少年もいる。私は少し立ち止まった。その場所の時間は一瞬にして凍り付き、全ての眼差しが私に突き刺さった。そして私はまた山を登る、凍り付いた時間を溶かすために。背中に痛いような視線をまだ感じていたが振り返りはしなかった。

 今の違和感は何だったのだろう? 彼らは何をしていたのかな。そう考えながら、私はまた山のイイ匂いを満喫しつつ歩いた。このままどこまであがれるのか....、この先に何があるのか...、興味は尽きないが、夜に写真を撮れる場所では無いので引き返すことにした。

 下っていくと子供達はまだ居た。まさかこんなに早く私が帰ってくるとは思ってなかったのだろう、子供達は油断して大暴れしている。前を通るとき、今度は彼らの方を向いて立ち、凝視してやった。時間は凍り付かなかった。そして、そわそわとする子供達。ちょっと声をかけてみた。

 

私「君ら、そんなとこで何してるん?」

子供ら「..........。」 私「あそんでんのん?」

子供 1「あってるです !」

私「......。」

どうやら、みんなで逢っているということらしい。

私「ごはんとか、たべてるのん?」

子供 1「いいえ !」

私「秘密基地か?」

子供 1「......。」

子供 2「あ...、そうです。」

いまどき秘密基地などという言葉は伝わらないのかもしれない。

私「どっから入るのん?」

子供 2「むこうからです。」

子供は立ち上がって下流を指さした。

私「たのしいかー?」

子供 1、2「はいっ!」

私「悪いことせんようになっ。」

子供ら「はいっ!」

返事が大きくなった。

私「ちょっとくらいならエエよ。」

子供ら「はいっ!」

さっきよりさらに返事が大きくなった。最後に「いじめもアカンでぇ」と声をかけ、私は山を下った。

 

 秘密基地か....、懐かしいな。彼らは、傾斜のある林の中にソファーを持ち込み、トタンで簡易の屋根もつけていた。たぶんほぼ毎日、野球の練習が終わると、ここで仲良しだけが集まり(5〜6人だった)、たわいのない話しをして盛り上がっているのだろう。ゲーム機やスマートフォンが全盛期の今の時代において、それら無しに彼らが屯していた風景に私は懐かしさと共に、ある種の違和感もおぼえた。

 ユニホーム姿のこれくらいの子供らは、私が住むマンション近くの公園でも夜な夜なよく見かける。公園法では禁止されているけど、子供らの指導者は、ゴルフ用のボール受けネットの類を公園の片隅に張り、ボールをトスして子供達に打たせているのだ。時折、指導者は、きつい言葉で子供らを怒る。子供らは、その都度、大きな返事で応えていた。少年野球の世界を詳しく知っているわけではない。もちろん、優しい指導者も居るだろう。しかし、写真を撮る旅、そして私の観察する日常の中において、少年野球の練習風景は何故か頻繁に登場するのだが、あまり良い印象はない。見かけるのは、大抵夜間だし、公園での禁止行為を子供にやらせているケースが多い。昼間時間が無かった、グラウンドを借りられなかったなどの理由だと思うが、禁止行為や近所迷惑を分かっていてやる子供もちょっとかわいそうな気がする。往年の漫画「巨人の星」なら「またやってるよ、あのキチガイ親子」で済まされるが、今はどうだろうか? 同じ尺で測れる話でないのは確かだと思う。

 

 山で私が子供らに感じた違和感は、おそらく彼らが抱えているストレスが垣間見えたからかもしれない。私の問いかけに心地よい返事をくれてはいたが、本意ではなかったはず。私の時代なら、子供らは皆逃げるのが普通。別に悪さをしていなくても、世界が違う大人の問いかけに応えるすべ(理由)など持ち合わせていない。そこいらの野良猫と同じ思考だったと思う。彼らが違ったのは、そう指導されていたから。

 ここの山は、ほんとうに気持ちが良かった。見えていることが全てではないけど、きっと子供らもここで癒やされているのだろうと思った。

 

 因みに「巨人の星」は、プロ野球の名三塁手だった親が、大東亜戦争で肩を負傷して野球が出来なくなり、自身の目的を失ったことで生じたエゴから子に無理矢理野球を教え込み、子はその境遇を恨みながらも、運命と宿命に振り回されつつ、挫折し、また不死鳥のように蘇り、なんとか野球を続けることで自分を見つけ、大きく成長してゆく話。出口のない物語ではあるけど、私は嫌いではない。

 

写真「午前零時のスケッチ」より

 

 


春近し  2018.03.05 Monday

 松本コウシ 夜の写真

 

 

 小春日和の土曜日、葛城山辺りの県道をフェアレディZの初期型が颯爽と走りすぎてゆくのを見た。このクラッシックな黒とオレンジのツートンカラーに搭乗していたのは、70歳をゆうに超える風貌の夫婦だった。左座席でステアリングを握っていた旦那とおもわれる男性は、まだ3月に入ったばかりだというのに、青い半袖シャツだけを着ていて、日焼けした逞しい腕を出している。右座席では、歳を重ねて小さくなった白髪の女性が、ただひたすら前方を見ていた。

 私が垣間見たシーンは、たぶん3秒くらいだっただろう。その間に入ってきた情報は「輸出仕様左ハンドル初期型2.6LのZ(Gノーズなし)」「オレンジと黒」「高齢者」「半袖シャツ」「白髪の女性」だけである。3秒後私は思った、「なんて素敵なんだ !」とね。

 

 事物なんてものは見えている部分が全てではないけど、この時ばかりは、自分の想像力と理想の方が前にでてしまった。

 捨ててしまった古いモノ、壊れたモノ、私は今猛烈にこれらが愛おしいのです。生活の優先順位とメンテナンスの煩わしさから、ついつい新しいモノへ変えてしまい、結局はガジェットなガラクタばかりが身の回りにあるだけの現実。そりゃ夢も見なくなりますね。

 毎日のように、車のボンネットに頭を突っ込み、ソレックスのバランス調整をやり、プラグの番手を変えたり、そんなことが日課だった日々。今実現しようとすれば、かなりの出費と広々とした家の環境が必要だけど、生きるということは、こういった楽しみがないと駄目な気もしますね。泥で汚れたり、時にはちょっとしたケガをしたりするのが、趣味の醍醐味だと感じています。余裕があれば、レコードやカセットテープを復活させたい。

 

 実生活ではサボりまくりの私でありますが、最近撮っている写真はデンジャラスです。撮影に行くたび、車も服も泥だらけになり、切り傷、打ち身が絶えないですね。子供なら普通に飛んだり跳ねたりできるような場所も、今の私では、崖や渓谷のごとく険しいものになってしまいました。 正直、限界を感じています。でも、それでいいのでしょうね。写真は、誰かと戦って勝ち負けを決めるような分野ではないでしょうから。自分の限界にチャレンジすれば、そこが結果なのだと思います。 フェアレディZで駆ける老夫婦は、今日どこを走っているのでしょう? あたなたちは私に少なからず夢を見せてくださいました。 私もいつか古い車の面倒をみる生活がしたいと......、なんてことは夢の夢。気が付くと我が愛車は、19万キロをも走破。この3月の車検で引退させてやることにしました。長い間、感謝!

 

写真「午前零時のスケッチ」より


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