中毒商法  2019.07.30 Tuesday

 

CIAOちゅ〜るという猫の餌が売れているようです。

飼い主が猫に食べさせている動画をいくつか見ましたが、そのほとんどの猫が、CIAOちゅ〜る中毒のようになっていました。猫への健康被害があるかどうかは分かりませんが、これほど食らいつく餌を日常的にあげてしまったら、他の餌に見向きもしないようになるのは明らかでしょうね。理性が少ない動物相手に中毒商法とは何気に醜く感じました。

 

 

ポケモンGoの中毒と思われる人をいまだによく見かけますね。他にも、ガチャや有料ネットゲーム、萌えアニメ、アイドルなど、一度ハマってしまうと一緒に生活している人や、友人、会社、学校などに迷惑をかけてしまう事態へとなり兼ねません。依存してしまい、それ以外の事が疎かになり、家族へ暴力的な行為をしたり、仕事や学校をサボる、挙句借金まで作ってしまう人も大勢いるでしょう。

極度依存で一番怖いのは、人間性まで変えてしまうことです。感性が粗野になったり、短気で暴力的、そして他人に思いやりが持てない性格になってしまうこと。

 

 

メッセージ性やテーマ性のない、何でもありの表現が大雑把な人間性を育てる。

最近起きた事件の中には、こういった中毒商法の餌食になったことが起因している犯罪が少なからずあったように思います。中毒商法をやっている企業は、餌食にした常得意やその家族がいつ牙を剥く、襲ってくるかもしれないことを認識しているのでしょうか? 平穏に見えるニッポンだけど、「何かのせいにしたい」「誰かのせいにしたい」という人達が、何かしらの苦境に追いやられて、くすぶっているかもしれません。

 

 

最近企業がよく使うコンプライアンスというのは、法律を守るだけのうわべ論で、「我々は善悪の感情なんか皆無だと」言ってるようなものです。アニメや漫画は、法律でジャッジされる以前の善悪の感情、命の尊さを物語によって育成させていく役目が少なからずあるのだと思ってます。手塚治虫、梶原一騎、松本零士などがそうであったように。欲望・願望のシミュレーションで気を惹いても、洗脳されたことで、現実との乖離が進み、人としての成長は期待できないのではないでしょうか? 欲望・願望のシミュレーションで救われた人の話も耳にします。その人には、現実が余りにも厳しかったのでしょう。しかし逆に言えば、そこまで対応できるメンタルを育ててこなかった、育てるような素材に出会わなかったとも言えるかもしれません。

ブラック、ブラックって言いますが、自営の飲食業は、昔から薄給ワンオペが当たり前だし、もし銀行業務が高給ホワイトなら、それは詐欺師と変わらないことを平然とやっているからでしょう。

コンプライアンスの前に有るものが重要視されなくなった、これは自分が残りの人生で一番残念思うところであります。

 

東京2020オリンピックのマスコット ミライトワ競技アニメーション、見ましたが、3兆円イベントのPVとしてはガッカリです。
https://www.youtube.com/watch?v=ixE1a6_l7e4

 

写真;コンデジ s120 が壊れる前に撮っていた写真


暑中お見舞い申し上げます  2019.07.28 Sunday

 

前回書いたヤマユリの件、その後、新たな撮影場所を見つけ、十数本のヤマユリのつぼみを確認し、2〜3日待って、再び訪れました。まさかと思いましたが、ほぼ全滅でしたね。前と同じ手口で花は切られていました。数日前、ここから少し離れた場所で、農家の人と話をしたのですが、その時は「最近、花を勝手に切る人が少なくなったよ」ということだったので、今回、花を切っている人が悪質なのか、何らかの特別な理由があるのか、よくわからないです。

 

野や山を荒らすことに抵抗がない登山者、写真家が居るのは知っています。

私は基本、作品の撮影場所は公表しません。自分は、撮影場所を無残に荒らすことはありませんが、もし誰かが行って、荒らしたとしても責任が取れないですから。

今回の撮影も、夜間この辺りで撮影することを所轄警察に報告しました。誰かの勘違いで、私も加害者になることが十分考えられます。

情報が膨らみすぎたことで、人の好奇心を必要以上に刺激し、いろんな所に人々が群がるようになりました。結果、モラルやマナーが維持できない事態も起き、あるいは過剰な正義感を奮い、人を傷つけることも多くあります。

 

隅田川花火大会の場所取り映像をリンクさせていただきました。

少し古い動画です。

マーキングやシート敷きは禁止されているので、たぶん、今はやってないとは思いますが…。

大きなブルーシートでの占領は、会社や組織の命令でやっているのだろうけど、醜いですね。これをやった会社や組織は、仕事でも同じやり方をしているのでしょうか。

 

https://www.youtube.com/watch?v=pt-pJUaHLl0

https://www.youtube.com/watch?v=zWIaRZXibu8

https://www.youtube.com/watch?v=kvCq_ZO7t6Q

 

写真; ユリを撮りに行った日、虹が綺麗だった。

   コンデジが壊れたので、スマホで撮影。

   しばらくカメラがありません。


梅雨の合間  2019.07.22 Monday

 

 

とある場所で、ヤマユリのつぼみを見つけた。花がひらくのはおそらく4〜5日後だろう。そして雨上がりの日、30キロほど車を走らせて見に行くと、ヤマユリの姿はもうなかった。何かキツネにでもつままれたような思いでその場で立ちすくんだ。それでも信じられなくて何度も何度も目を凝らしてあたりを探した。やがて一本のそれらしい草が目に入る。それは、花から60センチほど付近をナイフで切られたあのヤマユリだった。

 

 

花が咲くのを心待ちにしていたせいもあって、この清々しい場所には相応しくない、かなり大きな呆然自失に苛まれた。

人通りがある場所でもないし、遠くからこのヤマユリを見つけることはできない。そう考えると、近くの地元の人が、一輪挿し用として切っていったのだろう。田んぼ沿いの涼しげな家の窓際にこのヤマユリが一輪挿しで飾られている光景が脳裏に浮かんだ。

 

 

仕方ないね、そう自分に言い聞かせた。

このあたりは自然植物を採取してはいけないという看板があちこちにあるが、写真を撮りたいというのも所詮「欲」なのだ。被写体がなくなったならばまた探せばいい。

 

 


空という表現者  2019.07.05 Friday

 

新シリーズは、いよいよ作品集の制作に取りかかっています。

ここ数年行ってきた撮影は、自分にとって新鮮に感じることばかりでした。目新しく見えるということは、未熟であるとも言えます。見落としていた景色がまだまだ存在する、そう気がつく度に喜びも生まれました。

前作の写真集は、編集が始まると撮影を早々に切り上げましたが、今作は、入稿ギリギリまで撮影に取り組もうと思います。

 

 

 

写真とは、自身が表現者になることではなく、表現者を探すことなんだと思います。

空は最高の表現者、その形をフィックスすることなく消えてしまうところもダイナミックですばらしい。

大気は科学などでは解明できない意志をもっているのだと。

あるいは宇宙または神からのメッセージかな…。

 

 

 

空へ向かって美意識を放つ人たちもいる。バチカン市国やバルセロナの街並みは、神(空)からの視点を前提とした美しさを発する。天と地上、互いが表現者となることで、何かしらの対話があったのかもしれない。

きっとナスカの地上絵も、空の表現者へのメッセージなのだろう。

 

 

 


「 許されようとは思いません 」  2019.05.27 Monday

 

松本コウシ 午前零時のスケッチ 芦沢央 許されようとは思いません

 

 

推理作家 芦沢 央さんの「許されようとは思いません」が文庫化されました。
もうそろそろ書店に並ぶかと思います(新潮文庫)。


タイトルのインパクトがすごいですね。
短編五作品集です。


ひっぱり込まれるような文章、そして心臓の鼓動のようにリズミカルな展開が続く…。
一度読み始めると、途中でヤメラレナイ本です。


芦沢 央さんの巧みなレトリックは、タイトルの「許されようとは思いません」までヘンゲさせ、
まさに、帯のキャッチコピーのごとく「このどんでん返しがヤバい!!」となります。


表紙カバーを私の作品集「午前零時のスケッチ」よりチョイスいただきました。
出版社の方のお話によりますと、私の彼岸花の写真が、作中登場する場所のイメージにピッタリだったとのことでした。


新幹線で出張なさる方は、どうか道中おともとしてください。
仕事のリアリティが、より一層深まるかと思います。

 

 

カバーデザイン 新潮社装幀部

カバーフォト 松本コウシ

 


令和元年  2019.05.04 Saturday

 

元号が、平成から令和へと変わりました。

「退位礼正殿の儀」「即位後朝見の儀」は、ともに素晴らしかったです。こういう厳かな雰囲気は、緊張感があって好きですね。凡庸な日常で失った「気」を感じることができました。「信念」とは、人が見せる最も美しい事柄に違いないのでしょう。

 

 

「昭和の役者、梅宮辰夫嘆く」

芸能界が素人ばかりになって憧れの世界ではなくなってしまった。残念だけど、このままいったら芸能界は消滅するよ。もう“令和”なんかには期待していないよ。僕のいた芸能界からはもっと距離が離れていくだろうな。令和の芸能界は一般社会と変わらない世界になってしまうはずだ。宣伝ばかりやっているような、そんな連中がゴロゴロしてきちゃってね。本当、つまらない世界になっちゃったよ。

 

 

漬物屋でおなじみの辰ちゃんが語った言葉としては、少し違和感をもちましたが、かの梅宮辰夫氏をしても、今の芸能界は、どうしようもない処だということなのでしょう。

つまらない世界になってしまったのは、何も芸能界だけではないと思います。かつて「プロフェッショナル」が活躍していた「世界」は、大体レベルが落ちたように感じています。大きな理由として、人選が、技量という評価ではなくなったこと。

 

 

かの村上世彰が「お金儲けは悪いことですか?」と言い残して刑務所に入りましたが、思えばあの頃から、本格的に「お金」への節操がなくなり始めたのだと。法律さえ守れば、「節操 = 人として守る筋道」などいらない(忘れた)と考える人が今も増え続けていますね。

大切なことは、役者として、音楽家として、企業人として、「欲望」と「志」の分別があるのかという所でしょう。

 

 

昨夜、撮影の帰り、がら空きの高速道路でふとつけたラジオで小林旭が唄う「熱き心に」を聞いた。

音がイイ、そしてグイグイ心に入ってくる。なんだ、このロマンは…。たぶん初聴きだとしても、この歌は好きになる_、そんな魅力に「熱き心に」は溢れていた。

すこし切ない歌だが、ものすごく希望があって、身も心も高揚してくる。

これが、昭和の魂か…。今はその欠片も残ってない。

かつて阿久悠、筒美京平、都倉俊一、松本隆、といった歌謡曲の鬼才たちが、時代のバックグランドを支えていました。人々は、日常生活の中でいつもに彼らの作品をBGMに何かを目指し、そして、歌が支えてくれたから何かを成し遂げることができたのだと。

 

令和という時代_、まだしばらくは、情報に溢れ、果てしない欲望のみが人々を支えてゆくのでしょう。

 

 

 


動く季節を感じながら。  2019.04.17 Wednesday

 

 

森や山の匂いが変わった。

3月中頃より最近まで、ちょっと湿った酸っぱい匂いがしていたけど、突然消えましたね。最初は、写真暗室に似た感じの香りだったので、心持ち不快でしたが、2週間ほど嗅いでいると慣れてきて、いい匂いに変わりました。

何の匂いだったのだろう? 花や葉が芽吹く匂いだったのか、あるいは、土から香ってきていたのか…。

 

春…、猛烈な勢いで季節が動きました。私も置いてけぼりを食らわないように、一生懸命歩き回ります。

夜、何枚かイイ写真も撮れました。でも、まだ被写体を追い込みに行っているかな。もう少し肩の力を抜いて撮った方がいいかもしれません。そう、吸い込まれるような風景を求めて…。

 

写真:春、ロケハンにて Canon S120

 

 

 


新紙幣  2019.04.16 Tuesday

 

お札が変わるらしい。

見本絵柄が公開されたけど、あまり良くないですね。まるでインフレを前提としたような安っぽさを感じました(強調された算数字)。わざと適当なヤツを見せているのか、それとも本気でイイ加減なのか、良くわからないけど、自分がこの新紙幣のデザイナーなら、この時点で公開することを許可しないでしょうね_、恥だから。

本番は、もう少しまともなヤツにして欲しい。

近代でもっとも素晴らしいデザインだったのは、B号券でしょう。どのお札もインクの色がすばらしい。中でも旧五百円札(岩倉)裏のデザインは圧巻とも言える美しさです。紙幣とは、国としての美意識を象徴するものだから、もっと力を注ぐべきだと思います。

 




 

 

新五千円札津田梅子の肖像が、今回の見本では裏焼きだったという。

菅義偉官房長官は、「さまざまな写真を収集し、それらを参考に国立印刷局の工芸官が彫刻を行って原案を作成する。既存の写真がそのまま日本銀行券の肖像として印刷されることはない」と述べた。

 

この人は、C号券伊藤博文の肖像原盤写真を見たことないのでしょうか? 

C号券伊藤博文の肖像原盤は、当時の写真技術の結晶とも言えるほどの美しいポートレイトです(伊藤博文が好きなわけではない)。その美しい写真を工芸職人が忠実にC号券千円札へと映し取ったのです。津田梅子の肖像が、裏焼きでも問題ないとする政府の見解は、与太ゴトも甚だしく、津田梅子本人は元より、当時撮影した撮影技術者へ対しても冒涜だと思えます。

歴史的な写真を安易に素材扱いしていることが問題なのだと。サンプルとして一時的に加工したとしても、それを関係者以外に公表してしまう神経がどうにも逝かれていますね、インスタ蝿と変わらんレベルの話。原盤写真を保存している機関は、もっと政府へ強く抗議すべきでしょう。歴史とはどんな小さなことも正確に伝承していく絶対的な責務があるのだから。

 

フェイク馴れしすぎているのだろう、政府も国民も。

新壱万円札の肖像においても、実業家を使うとはちょっとありえないセンスじゃないか。

2024年の本番で、新紙幣の桁(ゼロ)がひとつ増えているなんてこともあるかもしれません。

 

美学は一体どこにあるのだでしょう。

出鱈目すぎるこの世界、美しいもの(こころ)に飢えるこの頃です。

 

写真:春、ロケハンにて Canon S120

 

 


令和、少し覚えにくいかな  2019.04.05 Friday

新元号が決まった。

クールなイメージで良いと思った。荘重な時代になって欲しい。

平成時代は、どちらかと云えば、お笑い重視の軽薄な時代だったように思う。ロマンやシリアスを追いかけた昭和とは、大きく異なった。

時代は、テレビCMを見ればわかる。内田裕也氏がドーバー海峡を泳いで渡る1985年のパルコのCMや、ケンとメリーのスカイラインシリーズのCMが好きだった。今で云えば、ハズキルーペ会長松村氏が宣う、スポンサーの金を無駄に使った、クリエーター本位の無駄な「イメージCM」の類である。だが、どうだろう、昭和のクリエーターたちがセンスを競ったサントリーや資生堂、パルコなどのCM、ポスターには、必ずと言って「夢やロマン」を感じた。

テレビは、時代を担い、映すもの_、金を払ったからって一企業の好き勝手にして良いものではないと思う。

昭和における、渡邊かをる氏、鬼沢 邦氏らの製作したポスターに鳥肌が立つほどの影響(美)を受けたが、今、デパートの化粧品売り場に貼ってある、現代のトップアーティストが作った(らしい)イメージポスターを見ても、心が揺れることはない。あえて思うなら、ポスターに近寄り、合成した背景や、加工された素肌、髪質に落胆する程度である。

 

 

1989年、昭和が終わった。

その頃私は、毎日のように街へ出かけ、写真集「眠らない風景 1989-2003」の序文「時間のドキュメンタリー」に書いてあるとおり、うんざりとする量のスナップ写真を撮る日々を過ごしていた。

昭和天皇が崩御なされた1月7日、そして平成となった1月8日の両日も、私は、いつものように繁華街のターミナル駅周辺へ出かけた。この日にふさわしい何か象徴的なものを撮りたい、そんな気持ちが強かったと思う。しかし、街は、平常運転だった。号外を配った朝一は、さぞかし賑やかだったに違いないが、今ほど情報が、次から次へと湧いてくる時代ではなかったため、街は、すぐに日常を取り戻していた。ライカM4を使い、2日で3本のフィルムを回していた。その日が特別の1日であったという裏付けは、駅構内に貼られた号外をラフに撮ったこの一枚きりだった。なぜか、まったく本気では撮っていない。もっと人と絡めたり、ワイドなレンズで誇張したりすることもなく、淡々と一枚撮っただけ。その日のコンタクトプリントには、特別な日であったはずなのに、平常運転している自分がはっきりと見えていた。

 

 

同年、2月24日より私は東京入りして、大喪の礼に参列した。しかし、儀式等の写真は一切撮っておらず、一般参列者のスナップを数枚撮っただけだった。私はこの行列を何も理解せず並び、5〜6時間ほどの苦痛に耐えた記憶だけが残っている。同コンタクトから、山手線の駅で撮った写真をアップする。

 

 

最近撮っている私の作品から「時間」が消えた。

時間とは、文明社会の産物であり、人が感じる概念である。

文明社会から森へ向かう。そこには、「時の流れ」ではない「気の流れ」を感じた。

眠らない風景が、「時間のドキュメンタリー」なら、宛ら、新・眠らない風景は、「気のドキュメンタリー」である。

 

蛇足

俺のまわりはピエロばかり

評判のイイ、内田也哉子の謝辞は、セコイ戦略的自己アピール、両親への嫉妬にしか思えなかった。

イチローの国民栄誉賞辞退は、大変素晴らしい、と感じる私は、相当、ま・と・も、かもしれない。

 

 

 


須田一政さん  2019.03.09 Saturday

 

 

3年ほど前の私の写真展に、わざわざお越しくださり、笑顔で「いいね」と声をかけてくださいました。そのあと、私が受付に用意していた腰の収まりが悪い筆ペンで、そう…、1〜2分くらいかけてご芳名なさいました。

震えの収まらない右手、以前よりだいぶお体の具合が悪いのだと…、そう思いました。しかし、須田一政さんの首からは、イエローフィルターと小型ストロボがついているライカM7、「道中、銀座もお撮りになったのですか?」という私の愚問に、またニッコリと頷かれ、私は、その写真意欲に圧倒されたのでした。

ライカはファッションの一部として首にかける方もいらっしゃいますが、イエローフィルターと小型ストロボという実践派ならではの装備に、今、須田一政さんはどんな作品を撮っておられるのか、私は自分の頭の中がグルグルとパンクしそうなくらいの想像力が駆け回り、一瞬、めまいがしたほどです。

 

 

 

 

 

須田一政さんが、会場を出られたすぐあと、内藤正敏さんがご来場なさいました。

内藤正敏さんは、すぐに展示作品をご覧になられたので、須田一政さんが、たった今来られていた旨をお伝えするのに、20分ほどの時間を要してしまいました。ほんの何十秒かの差で、お二人が遭遇されなかったことを内藤正敏さんにお話しいたしますと、内藤正敏さんは、まるで神様との出会いを逸したかの如く残念なご様子でした。

でも私にとっては、須田一政さんも内藤正敏さんも神様、いやそれ以上の存在なのです。

 

須田一政さんの訃報、残念で仕方ありません。

応援してくださったこと、心より感謝申し上げます。

いただいた手紙、大切にいたします。

 

 


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