動く季節を感じながら。  2019.04.17 Wednesday

 

 

森や山の匂いが変わった。

3月中頃より最近まで、ちょっと湿った酸っぱい匂いがしていたけど、突然消えましたね。最初は、写真暗室に似た感じの香りだったので、心持ち不快でしたが、2週間ほど嗅いでいると慣れてきて、いい匂いに変わりました。

何の匂いだったのだろう? 花や葉が芽吹く匂いだったのか、あるいは、土から香ってきていたのか…。

 

春…、猛烈な勢いで季節が動きました。私も置いてけぼりを食らわないように、一生懸命歩き回ります。

夜、何枚かイイ写真も撮れました。でも、まだ被写体を追い込みに行っているかな。もう少し肩の力を抜いて撮った方がいいかもしれません。そう、吸い込まれるような風景を求めて…。

 

写真:春、ロケハンにて Canon S120

 

 

 


新紙幣  2019.04.16 Tuesday

 

お札が変わるらしい。

見本絵柄が公開されたけど、あまり良くないですね。まるでインフレを前提としたような安っぽさを感じました(強調された算数字)。わざと適当なヤツを見せているのか、それとも本気でイイ加減なのか、良くわからないけど、自分がこの新紙幣のデザイナーなら、この時点で公開することを許可しないでしょうね_、恥だから。

本番は、もう少しまともなヤツにして欲しい。

近代でもっとも素晴らしいデザインだったのは、B号券でしょう。どのお札もインクの色がすばらしい。中でも旧五百円札(岩倉)裏のデザインは圧巻とも言える美しさです。紙幣とは、国としての美意識を象徴するものだから、もっと力を注ぐべきだと思います。

 




 

 

新五千円札津田梅子の肖像が、今回の見本では裏焼きだったという。

菅義偉官房長官は、「さまざまな写真を収集し、それらを参考に国立印刷局の工芸官が彫刻を行って原案を作成する。既存の写真がそのまま日本銀行券の肖像として印刷されることはない」と述べた。

 

この人は、C号券伊藤博文の肖像原盤写真を見たことないのでしょうか? 

C号券伊藤博文の肖像原盤は、当時の写真技術の結晶とも言えるほどの美しいポートレイトです(伊藤博文が好きなわけではない)。その美しい写真を工芸職人が忠実にC号券千円札へと映し取ったのです。津田梅子の肖像が、裏焼きでも問題ないとする政府の見解は、与太ゴトも甚だしく、津田梅子本人は元より、当時撮影した撮影技術者へ対しても冒涜だと思えます。

歴史的な写真を安易に素材扱いしていることが問題なのだと。サンプルとして一時的に加工したとしても、それを関係者以外に公表してしまう神経がどうにも逝かれていますね、インスタ蝿と変わらんレベルの話。原盤写真を保存している機関は、もっと政府へ強く抗議すべきでしょう。歴史とはどんな小さなことも正確に伝承していく絶対的な責務があるのだから。

 

フェイク馴れしすぎているのだろう、政府も国民も。

新壱万円札の肖像においても、実業家を使うとはちょっとありえないセンスじゃないか。

2024年の本番で、新紙幣の桁(ゼロ)がひとつ増えているなんてこともあるかもしれません。

 

美学は一体どこにあるのだでしょう。

出鱈目すぎるこの世界、美しいもの(こころ)に飢えるこの頃です。

 

写真:春、ロケハンにて Canon S120

 

 


令和、少し覚えにくいかな  2019.04.05 Friday

新元号が決まった。

クールなイメージで良いと思った。荘重な時代になって欲しい。

平成時代は、どちらかと云えば、お笑い重視の軽薄な時代だったように思う。ロマンやシリアスを追いかけた昭和とは、大きく異なった。

時代は、テレビCMを見ればわかる。内田裕也氏がドーバー海峡を泳いで渡る1985年のパルコのCMや、ケンとメリーのスカイラインシリーズのCMが好きだった。今で云えば、ハズキルーペ会長松村氏が宣う、スポンサーの金を無駄に使った、クリエーター本位の無駄な「イメージCM」の類である。だが、どうだろう、昭和のクリエーターたちがセンスを競ったサントリーや資生堂、パルコなどのCM、ポスターには、必ずと言って「夢やロマン」を感じた。

テレビは、時代を担い、映すもの_、金を払ったからって一企業の好き勝手にして良いものではないと思う。

昭和における、渡邊かをる氏、鬼沢 邦氏らの製作したポスターに鳥肌が立つほどの影響(美)を受けたが、今、デパートの化粧品売り場に貼ってある、現代のトップアーティストが作った(らしい)イメージポスターを見ても、心が揺れることはない。あえて思うなら、ポスターに近寄り、合成した背景や、加工された素肌、髪質に落胆する程度である。

 

 

1989年、昭和が終わった。

その頃私は、毎日のように街へ出かけ、写真集「眠らない風景 1989-2003」の序文「時間のドキュメンタリー」に書いてあるとおり、うんざりとする量のスナップ写真を撮る日々を過ごしていた。

昭和天皇が崩御なされた1月7日、そして平成となった1月8日の両日も、私は、いつものように繁華街のターミナル駅周辺へ出かけた。この日にふさわしい何か象徴的なものを撮りたい、そんな気持ちが強かったと思う。しかし、街は、平常運転だった。号外を配った朝一は、さぞかし賑やかだったに違いないが、今ほど情報が、次から次へと湧いてくる時代ではなかったため、街は、すぐに日常を取り戻していた。ライカM4を使い、2日で3本のフィルムを回していた。その日が特別の1日であったという裏付けは、駅構内に貼られた号外をラフに撮ったこの一枚きりだった。なぜか、まったく本気では撮っていない。もっと人と絡めたり、ワイドなレンズで誇張したりすることもなく、淡々と一枚撮っただけ。その日のコンタクトプリントには、特別な日であったはずなのに、平常運転している自分がはっきりと見えていた。

 

 

同年、2月24日より私は東京入りして、大喪の礼に参列した。しかし、儀式等の写真は一切撮っておらず、一般参列者のスナップを数枚撮っただけだった。私はこの行列を何も理解せず並び、5〜6時間ほどの苦痛に耐えた記憶だけが残っている。同コンタクトから、山手線の駅で撮った写真をアップする。

 

 

最近撮っている私の作品から「時間」が消えた。

時間とは、文明社会の産物であり、人が感じる概念である。

文明社会から森へ向かう。そこには、「時の流れ」ではない「気の流れ」を感じた。

眠らない風景が、「時間のドキュメンタリー」なら、宛ら、新・眠らない風景は、「気のドキュメンタリー」である。

 

蛇足

俺のまわりはピエロばかり

評判のイイ、内田也哉子の謝辞は、セコイ戦略的自己アピール、両親への嫉妬にしか思えなかった。

イチローの国民栄誉賞辞退は、大変素晴らしい、と感じる私は、相当、ま・と・も、かもしれない。

 

 

 


須田一政さん  2019.03.09 Saturday

 

 

3年ほど前の私の写真展に、わざわざお越しくださり、笑顔で「いいね」と声をかけてくださいました。そのあと、私が受付に用意していた腰の収まりが悪い筆ペンで、そう…、1〜2分くらいかけてご芳名なさいました。

震えの収まらない右手、以前よりだいぶお体の具合が悪いのだと…、そう思いました。しかし、須田一政さんの首からは、イエローフィルターと小型ストロボがついているライカM7、「道中、銀座もお撮りになったのですか?」という私の愚問に、またニッコリと頷かれ、私は、その写真意欲に圧倒されたのでした。

ライカはファッションの一部として首にかける方もいらっしゃいますが、イエローフィルターと小型ストロボという実践派ならではの装備に、今、須田一政さんはどんな作品を撮っておられるのか、私は自分の頭の中がグルグルとパンクしそうなくらいの想像力が駆け回り、一瞬、めまいがしたほどです。

 

 

 

 

 

須田一政さんが、会場を出られたすぐあと、内藤正敏さんがご来場なさいました。

内藤正敏さんは、すぐに展示作品をご覧になられたので、須田一政さんが、たった今来られていた旨をお伝えするのに、20分ほどの時間を要してしまいました。ほんの何十秒かの差で、お二人が遭遇されなかったことを内藤正敏さんにお話しいたしますと、内藤正敏さんは、まるで神様との出会いを逸したかの如く残念なご様子でした。

でも私にとっては、須田一政さんも内藤正敏さんも神様、いやそれ以上の存在なのです。

 

須田一政さんの訃報、残念で仕方ありません。

応援してくださったこと、心より感謝申し上げます。

いただいた手紙、大切にいたします。

 

 


  2019.02.11 Monday

 

 

空の中に自分の横顔をみつけた。

 

雲っておもしろい。

 

 

 


長野重一 さん  2019.02.09 Saturday

長野重一さん

 

 

長野重一 さんの訃報、ショックです。
本当に尊敬できる素晴らしい写真家として、その業をまっとうされた方です。
長野さんは、構図がすごい。
どの作品を見ても長野重一さんって解るのです。この方は、ムービーも回され、ムービーをみても「長野重一構図」が有り有りと解る、そんな写真家は長野重一さんと広川泰士さんだけ。

私の手元に残った長野さんから頂いた2通のメッセージカード。
裏には、びっしりと写真に対する思いが書かれています。
これからも大切にします。

 

 

 


写真と表現  2019.02.05 Tuesday

松本コウシ

松本コウシ

松本コウシ

松本コウシ

 

 

昨年の秋頃、ロケハンを兼ね、とある田舎へ”散歩”に行った時の話。

ちょうど稲刈りの季節を迎え、あたりは田んぼの香ばしい匂いが漂っており、散歩を満喫するには絶好の秋日和でした。近くにはコスモスも咲いており、そこにはいつものように大勢の写真愛好家、カメラ愛好家がわんさかと群がっておられます。

そんな中、群れを離れ、ポツンとお一人で田んぼを撮る方がおられたので何気なく見てますと、このあたりによくある特徴的な形をした積みわらを撮られているようでした。目の前には、雪ん子のように見える積みわらが3体、大きさが大中小あって、ちょうど親子(家族)のように見えなくもないのですが、私的には、並び方等ちょっと無理やり感があるなと感じていました。撮影者の方は、三脚を立てて何度も構図を変え、かなり粘っておられました。私なら諦めるかな、狙いすぎ・・・っと思った瞬間、その心の声が聞こえたのか、撮影者は、むっくと立ち上がり、足早に田んぼの中へ踏み込んでいかれ、背丈ほどある雪ん子積みわらを両手でがっつりと抱きかかえて、ひょいっと横へと移動させたのでした。そして2〜3歩さがり、さらに微調整。

狙い通りうまく撮れたのか、そのあとそそくさと路駐した車に機材を積み込んで去って行かれました。

 

 

松本コウシ

松本コウシ

松本コウシ

松本コウシ

 

 

撮影者が被写体に干渉した瞬間から写真は”描写”から”表現”へと変わる。

 

写真を撮ることを生業にしているからでしょうか、「写真へのスタンス」を曖昧にしてしまうと自分の作品がわからなくなり、どこかに飛んで行って消えてしまいそうになり怖いですね。

狭義として実相を写すことが”写真の本質”ならば、”表現”という言葉は、撮影者の方ではなく、被写体の方へ重なっていくのが妥当なのでしょう。いろいろ語りかけてくる写真とは、概ね撮影者の気配など微塵も感じさせない、ただただ被写体の有様だけが意思を持っているように思います。

広義の創作写真は別次元で、言うまでもなく絵画や彫刻と同じ考えかたでいいのですが、厄介なのは実相をいじっているのに現実として見せること。程度問題かもしれませんが、ひとめも気にせず、雪ん子積みわらを堂々と動かした撮影者も、私から見れば厄介な存在ではあります。

私にとって写真とは、出会い、発見、存在、感慨、受動。

そして自分の思う通りにならないのが写真。意図を押し付けるより、私は見る人が自分の撮った風景写真の中で旅をしてほしい、そう思ってます。

 

写真:「午前零時のスケッチ」より

フィルムカメラ作品。写真の外枠はキャリアブラックと言います。

ネガキャリアを削った痕跡でノートリミングである証。

本作品は、アプリ等で加工したものではありません。

 

 


年の瀬  2018.12.21 Friday







 

 

年末を迎え、今年を振り返ってみましょう。

新シリーズ、「新・眠らない風景  幽玄の夜に」では、今までと違い、都市を離れ、野や畑で草木花を撮っています。前作までは、都市と、人の生活圏内におけるあらゆる造形美を求めていました。「モノの存在感」を徹底的に追及した「午前零時のスケッチ」は、そういう意味で、夜の都市写真、街写真の集大成であったと思います。

今回、都市、そして街を離れたことで、新たに学んだことが随分と沢山ありました。

まず、第一に、「人の居ないところには、明かりがない」という現実。これは、夜の写真に着手した1989年(平成元年)には、すでに気がついていた事なのですが、ここの境界線を本気で超えていくのに、30年も掛かってしまいました。逆にいえば、明かりがあったが故に「眠らない風景」と化すのですから、真の暗闇で撮る事は、作品のテーマからずれているのです。

「新・眠らない風景  幽玄の夜に」では、今までに私が踏み入れなかった本当の漆黒の闇に入り、カメラを向けました。人が感じるギリギリの環境下で、五感を刺激してくる”何かしらの存在感”たちに、今までに体感した事のない、得も言えぬエクスタシーを覚えます。

 

 







 

 

私にとって写真とは感受と観察。そこには表現などという要素はひとつもない。夜の写真は露光時間が長い為、被写体と対話する密度も濃くなる。明るいうちにその存在を察知し、夜にマジマジと穴が開くほど見つめている。最近は植物を撮ることが多い。前作「午前零時のスケッチ」では、撮影した日時場所が大切な要素であった。それは、人が感じる「観念≒時間」で変化する光景を撮っていたからに他ならない。年月を超えて再び、同じ地を訪れたなら、きっとそれなりに文明社会の法則にしたがって姿を変えているはずである。

 

 

 








 

 

草むらに入る。針金のような根や茎は、私の足に絡みつき、青白い樹液を撒きちらしながらちぎれ、私を地面に引き倒し、そして自らの種子を押し付けてくる。何千という、彼らの子孫たちをカラダ中に纏い、私は喘ぎながら再び文明社会に戻り、それらを解放してやるのだ。

植物木々、森を撮った写真に日時場所の概念は意味がない。それらは、人が干渉しない限り、ほぼ永遠に同じことが繰り返されるのだろう。きっと過去も未来も同じ次元にあるのかもしれない。

 

写真; 今年の夏以降に出会った印象的な景色

 

 

 


ヴィム・ベンダース BBCインタビュー  2018.09.06 Thursday

 

 

写真とは何でしょう ?  そして撮影者とはどうあるべきか ?

写真とどのように出逢い、その関わりを作って来たかは、ひとそれぞれ千差万別だと思います。しかし、今多くのヒトが想像イメージする写真と、「写真の本質」には、相当の乖離がある_、つまり写真には、生まれながらに持つ使命というのがあり、それは概ねヒトのコントロールの外にあるのだと私は考えます。

 

数日前、私が好きな映画監督 Wim Wenders が、自身の写真展会場でBBCのインタビューに、こう応えました。

 

So many people are taking so many pictures thanks to the iPhone. And yet, renowned filmmaker and photographer Wim Wenders says photography is “more dead than ever.”

“The trouble with iPhone pictures is nobody sees them,” Wenders said in a recent BBC video interview during an exhibit of his Polaroid photos. “Even the people who take them don't look at them anymore, and they certainly don't make prints.”

Wenders, whose impressive film credits include Paris, Texas and Wings of Desire, may sound like a grouchy old analog type. But given his celebrated creativity, his points about photography in the smartphone era are worth considering.

On Instagram alone, users upload 60 million photos a day. Photography historians have sounded the alarm on how few of these images ever see the surface of digital photo paper.

Camera apps and filters hinder smartphone photography

Apps and filters are also nails in the art form's coffin, according to Wenders. He sees software and algorithms as hindering creativity.

“I know from experience that the less you have, the more creative you have to become,” said Wenders. He earned an Academy Award nomination for his documentary The Salt of the Earth about documentary photographer Sebastião Salgado.

There is nothing wrong with pictures from a smartphone camera. And Wenders admits he takes selfies. But creating images with a phone camera should not be called photography, he said.

“I'm in search of a new word for this new activity that looks so much like photography but isn't photography anymore,” he said.

 

Sources: PetaPixel and BBC

 

 

 

 

 

ざっくり簡単に訳せば、

「iPhoneのおかげで多くの写真が生まれているけど、Photographyは、以前より死んでしまった。多機能電話カメラによるアプリやフィルターを駆使した写真撮影は、見るヒトの創造性を欠き、Photographyの分野を逸脱している。私は、この多機能電話カメラによる新しい活動のための新語を捜している。」 ということでしょうか。

 

最近私は、外にいくと「作家さんの方」という公称で紹介されます。私は「写真家」を目指していたはずなのに、すでに「写真家」ではない扱いになっている様です。この方式でゆくと Wim Wenders が求める「多機能電話カメラによる新しい活動のための新語」は、新しく言葉が生まれることなく、それらが「Photography」と認識され、かつての「Photography」が、何か他の言葉にスライドされてしまうのかもしれません。

 

Wim Wendersが撮った映画、「ベルリン天使の詩」や「都会のアリス」、そして「パリ、テキサス」などは途方もなく美しく、非常に高い完成度をもっていて、彼が生きることのほぼ全てを映画制作に注いでいることが分かります。それほどの英才が発した言葉だけに、真摯に耳を傾ける必要があるでしょう。

 

今や、Photography・Movieの殆どが娯楽やホビーとして捉えられ、従来の「写真家」「映画制作者」の製作物を浸蝕・破壊しているようにも感じます。時代が変わることは有害なことで無いはずですが、ここ数年は、投機的で乱暴な仕掛けが優先され、本質を失ったであろうシロモノがポジションを占拠しています。Wim Wendersが、加工され過ぎたiPhoneの"絵"を見て「なんじゃそれっ」と感じたことはもっともだと思うし、私は安堵すらおぼえました。

この先、娯楽・報道・芸術を問わず、写真の現実性を大事にしないと、やがて大切な何かが消えてしまうかもしれません。20年後、30年後にアプリで過剰な加工を施した自分の顔写真、家族写真を見たとき、きっと少なからずの後悔を感じるんじゃないかと。

 

カメラ業界は、新製品ラッシュです。日々新しいカメラが出現し、世はカメラの性能の善し悪しを論ずる事ばかりですが、カメラの前に「写真」が在ることは忘れないで欲しいですね。カメラではなく「写真」を主人公とした発想になることで、冒頭に述べた「写真の本質」に近づき、そして、写真とは何か ?  撮影者とはどうあるべきか ? という難題を自身に問い始める_、写真家とはそういった存在だと思っています。

 

写真:Until the End of the World / Bis ans Ende der Welt 日本公開来日時のヴィム・ベンダース

 

 

 

 

 

 


八戸ノ里公園 台風21号  2018.09.04 Tuesday

 

八戸ノ里公園 台風21号

八戸ノ里公園 台風21号

 

 

台風21号、強烈でした。

自宅駐車場の屋根が吹っ飛んだので、マンションの管理人さんと雨の中濡れ鼠になりながら二人で修理。業者さんは、この台風の中、来られないですからやむを得ませんね。

 

 

八戸ノ里公園 台風21号

八戸ノ里公園 台風21号

 

 

お向かいの八戸ノ里公園の被害も酷い状態です。再起には暫く掛かるでしょう。これらの木々の破片や千切れた枝が、自宅マンションの駐車場やベランダにわんさか飛んで参りました。

 

 

 

八戸ノ里公園 台風21号

八戸ノ里公園 台風21号

 

 

街中の公園の木々は、根が浅いですね。今回は大きな木がいっぱい倒れておりました。これだけ巨木が倒れて、電線を巻き込まなかったのは不幸中の幸い。民家近くの木が密集した公園は、こういった台風時に大火事になる危険性を少なからず孕んでいることが分かりました。

 

 

八戸ノ里公園 台風21号

八戸ノ里公園 台風21号

 

 

 


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